-NAMI's profile◆京都より・・・、気ままな遁世僧の今様つれづれ草...PhotosBlogLists Tools Help

-NAMI

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01/01/2006

天下和順・・・・・。-新年を迎えて-

天下和順   天下(てんげ)和順し
日月清明   日月清明なり
風雨以時   風雨時を以てし
災厲不起   災厲(さいれい)起こらず
國豊民安   国豊かに民安くして
兵戈無用   兵戈(ひょうが)用いることなし

『佛説無量壽經』下巻より

全ての争いは人間の心から生ずる。
今も世界の何処かで戦乱は続いている・・・。
人間の心は常に移ろい行くものである・・・。
人間は自己の都合にそぐわないものに対しては不快感を覚える。
一瞬の心に刺さったトゲが、傷を大きくしたりする。
だから如来の言葉に問い、聞くのである。            
如来とは真如(真実の世界)から来た存在という意味である。
我々は虚仮不実の世界に生きているが故に、願わずにはおれないのである。
そして如来も我々のことを願っている。
天下和順・・・・兵戈無用・・・・
兵戈無用。



明けましておめでとう御座います。
昨年5月にスタートさせた本ブログですが、何とか年を越せました。
更新ペースが相変わらず沈滞気味で申し訳ありませんが、
いろんな方面の方が足跡を残して下さり、本当に有難う御座います。
今年も「気まま」に遁世僧を気取りつつ、マイペースで更新して参りますので、
よろしくお付き合い下さいませm(_ _)m。                   平成18年元旦
また、改めてコメントはさせて頂きますのでよろしく御願い申し上げます・・・・・。
 
■写真■
浜大津、打出浜より琵琶湖の眺望。白く雪化粧しているのは比良山系。
上記の浄土教の根本経典、『仏説無量寿経』下巻にある言葉を想起する琵琶湖の風景。
昨年1月撮影。
23/12/2005

冬の使者。

今、琵琶湖畔に程近い実家に帰っている。
大型寒波到来とかで、冬至の夜半から降り出した雪は家の外を一面銀世界に変えてしまった。
久々に見る年の瀬の大雪である。
ここ数年12月に降る大雪など、ついぞ目の当たりにしたことがない。
雪国の人々にとっては厄介者以外に何物でもないが、
地球温暖化という言葉に聞き慣れて久しい今、本来の冬に思いを致している。

さて・・・・、
随分前のことだが、仕事で長浜の盆梅展の撮影に出掛けた時、
湖北に位置する滋賀県びわ町まで足を延ばして、
早崎内湖に飛来する白鳥を撮影したことがあった。
内湖とは、琵琶湖に隣接してある沼のことをそう呼ぶ。

動物を本格的に撮影するというのは、恐らくこれが初めてで、
全く習作の域を出ないものばかりであった。
ここへ飛来するのはコハクチョウだそうで、
私が知っている白鳥よりも小ぶりなのだという。

私にとって琵琶湖にいる水鳥と言えば、
カイツブリかカモ程度なので、白鳥というのはいささか意外ではあった。

それにしても、白鳥が飛翔する姿はなんと美しいことか・・・・。
以前にも書いたことではあるが、
スペインのトレドの上空を美しい編隊を組んで、
南を目指す白鳥の群れを見たことがある。
彼らの秩序正しき姿に人智を超えた「美」を感ずるのである。

もっとも、生物学的には理屈のつく事柄なのだろうが、
彼らは何も口伝えすることもなく、彼らの生きるべき姿が淡々と、
子々孫々に受け継がれるところに、私は素晴らしさを感ずるのである。



もっとも、私にとって白鳥といえば・・・・・、
至極マニアックな話ではあるが、2001年の春に廃止された、
大阪-青森間を約13時間かけて走破していた旧国鉄時代からの老舗特急「白鳥」である。
北海道へ行くのに特急券を安く揚げるには、この列車が欠かさない存在だった。

朝10時半頃に大阪を発車し、
青森に到着するのは日付が変わる寸前の、確か23時55分であった。
そして青函連絡船の深夜便に連絡して、函館で始発の特急「おおとり」に接続、
札幌には昼前に着けるという便利なダイヤ設定であった。

学生時代、流氷を見に行くのによく使ったルートである・・・・。
札幌で半日をぶらぶら過ごして、
今度は釧路行の夜行列車、急行「大雪2号」で網走へ向かうのだ。
網走から、今はなき湧網線で浜佐呂間まで行き、
そこでサロマ湖畔に遊びつつ流氷を眺めたものである。
白い息を弾ませながらダイヤモンドダストに感激したり、
或いはどこまでも真っ白な世界に、仏教的なものを想起したりしたのだった・・・・。


早崎内湖に羽根を休める白鳥たちは、
北海道よりももっと遠いところから来たのであろう・・・・。






■写真■
2005年1月撮影。滋賀県びわ町早崎内湖にて。
14/12/2005

比良暮雪。

例年よりも早く初冠雪した湖西の比良山系は、
来年の春を告げる「比良八講(ひらはっこう)」が終わるまで、ずっと雪化粧をして下界を見下ろす。
古人はこの情景を近江八景の一つに加えて、「比良暮雪」と名付けた。

空気の澄んだ晴れた日は、殊のほか雄大で美しい姿を我々の前に展開する。

私にしてみれば、さながら経典に説かれる「雪山(せっさん)」の如しである。
雪山とは即ち、サンスクリット語”himālaya”の漢訳語である。
インドでは雪山の雪解け水が流れるガンジス河は、
インドラの頭の頂から流れ出る聖なる河であり、その源流たる雪山も神なる山なのである。
仏教もインド世界に興った宗教なので、経典にたびたび出てくるのである。
我々にとって釈尊は仏教の開祖であり、言うなれば仏教世界の中で生きている。
しかし釈尊は違う。釈尊はヒンズー教世界の中で生き、真理を説かれた方なのである。

ところで来春、比良山系の裾野である「滋賀県滋賀郡志賀町」は、大津市に編入される。
これで旧滋賀郡は全域を大津市がカバーすることになる。

ここ1~2年の間に全国的に繰り広げられた市町村の「平成の大合併」に思う。
それはある意味に於いて、「地名」という無形の文化を無くすことでもあるまいか。
そんな風に思ったりもするのである・・・・・。

数年前、郵便番号が3桁から7桁に改訂された時、
京都だけは勝手が違った。
というのは、町名を書かずとも通りの上ル下ルで郵便物が届くからである。
例えば、「京都市中京区姉小路通高倉東入ル」と表記すればそれでよい。
姉小路通と高倉通とが交差する所を東へ行けば目的地に至る。
京都の住所は長ったらしいというけれども、それが文化というものである。

比良山ののことを書いておきながら、
京都へ戻ってしまった。
これくらいにしておこう・・・・・。


10/12/2005

いつも有難う御座います。

稽首。   いつも御訪問下さり有難う御座いますm(_ _)m。
 
更新間隔が空き気味な上に、
皆さんが残して下さるコメントに返信も出来ずに申し訳ありませんでした。
 
ずっと気になりつつ過ごして参りましたが、
ようやく我が思いを果たせる事が出来、
ひとまず皆さんのコメントに拙き返事をさせて頂きました。
タイトル通り、気まま過ぎるブログではありますが、
これからもよろしく御願い申し上げます。
 
 
それから・・・・・
 
◆京都より・・・、気ままな遁世僧の今様つれづれ草◆
 
と、若干ブログタイトルを変更致しました。
殆ど変わりありませんが、
「遁世僧」を自称しております。
 
遁世とは本来「出家」と同じ意味ですが、
中世以降、第一線を退く事を意味し、
私の日常もまた遁世状態であります。
今は二足草鞋生活の傍ら、
師僧について専ら天台声明を学ぶ日々であります・・・・・。
 
合掌

酒はこれ忘憂の名あり。

酒はこれ忘憂の名あり、これをすすめて笑ふほどになぐさめて去るべし。
さてこそとぶらひたるにてあれ と仰せありき。しるべし。


                   本願寺第三世・覚如著『口伝鈔』より
                   ■忘憂(ぼうゆう)→酒の異名。

 

 

 


覚如とは親鸞の曾孫になる人で、
親鸞の廟所を寺院に改めて「本願寺」の名乗りを上げた僧侶である。
若い時期から「真宗の法統は我にあり」と自覚していて、
親鸞面授の関東の門弟たちとは何かとトラブルがあった。

関東の門弟たちの流れは既に原始的な真宗教団を形成していて、
彼らからすれば、覚如は親鸞の血筋として、
しっかり廟所を守っていてくれればそれでよい・・・という、
その程度の存在でしかなかった。

どうやら覚如はその辺が気に食わなかったかどうかは解らないが、
とにかく、血筋と法統はイコールという発想があったようで、
曾祖父親鸞の墓を寺院化させるのに心血を注いだ。

そんな覚如ではあるが、
非常に聡明にして歌や学問にも秀でていたそうで、
20歳代にして『報恩講私記』や『本願寺聖人親鸞伝絵』を著している。
どちらも今日の真宗教団では重要な聖教であり、
特に『報恩講私記』に関しては、
真宗各派の報恩講(親鸞の忌日の法要)で門主が拝読する。

『報恩講私記』は別名「式文(しきもん)」と呼ばれ、
末寺で拝読する場合、許可制を強いている。
私も随分前に伝授を受けたが、漢文の巻物で、これを書き下して読まねばならず、
これまた件(くだん)の巻物に、返り点やら読みや送り仮名を書き込んだものである。
当時私も20代そこそこだったので、
覚如は自分と同じ年頃にこんなのを既に書いていたのかと思うと、
いささかならずゾッとしたのを記憶している。


◆◆◆◆◆◆◆


少々、前置きが長くなった・・・・・。

さて『口伝鈔』とは、親鸞が孫の如信に浄土真宗の肝要を口伝えしたものを、
如信から更に覚如へと伝えられたという意味で名付けられている。
如信は親鸞の次男・善鸞の子息である。そして覚如は親鸞の末娘・覚信尼の孫になる。

その『口伝鈔』の中に、出てくる親鸞の言葉である。
私のような酒好きにすれば、宗祖がそう仰せか・・・とばかり、
余計に調子づいてしまう「聖句」である。

この言葉が出てくる章の表題は、
「一 別離等の苦にあうて悲歎せんやからをば、
仏法の薬をすすめて、そのおもひを教誘すべき事」とある。

人間は常に四苦八苦の中で生きている。
即ち・・・・生老病死に加え、
愛別離苦(あいべつりく・愛しき存在と別れなければならない苦)
怨憎会苦(おんぞうえく・いやな存在と出逢わなければならない苦)
求不得苦(ぐふとっく・欲しい物が得られない苦)
五蘊盛苦(ごうんじょうく・五蘊とは人体の事である。我が身の存在そのものが苦)
を「四苦八苦」という。
だから我々の日常はいつも「シクハック」して生きているのである。

その中でも「愛別離苦」が最も辛い苦であるという。
確かにそうである。どの苦しみもいやな事ばかりではあるが、
怨憎会苦は会わない努力を怠らなければ、ある程度までは回避出来る。
求不得苦は我慢すればいいのである。
ベンツが欲しくっても先立つ物がなければ買えない訳だし、諦めもつく。
五蘊盛苦は、まァ色々方法もあろう。娑婆は苦の連続ではあるが「我が身は可愛い」ものである。

ところが愛別離苦は結構辛いものがある。
例えば失恋なんかもそうであろう。
私も人恋しい方であるから、この傷手は並々ならないものがある。
或いは、振った後もそれなりにしんどい。
更には大切な人との死別である。
浄土で再会は約束されても、娑婆での別れは本当に辛い。
まさに凡夫の情は愛別離苦と一蓮托生ではないか・・・・。

『口伝鈔』によれば親鸞は、
先ずは生死界(しょうじかい)たる娑婆に生き続けられぬ理を知らしめ、
次に浄土の心安らかな様を知らしめ、
この浄土を願わなければ、未来永劫同じ苦しみに遭遇するばかりであると説く。
しかしながら、それでも苦しみの現実から癒やされないようであるならば・・・にこう続く。
酒は「憂いを忘れる」という別名がある。
だから酒を勧めて共に飲んで笑ってやり、慰めて立ち去ればよい、と。

もっとも、アル中になってはもともこもないが・・・・。
ふっと寂しさがよぎった時、癒やしの材料に酒は効果的だ、と親鸞は言っているのだろう・・・・・。
人間、常に心のどこかで隙間風が吹いているものである。
ガス抜きはせねばならないのである・・・・。


今日も夕焼けが殊のほか美しかった。
夕暮れ空を眺めるのもまた、「忘憂」である・・・・・。